ヘルメティック・サークル ~ ヘッセのミスティシズム ~

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『ヘルメティック・サークル』は、チリの外交官だったミゲール・セラノという人が、晩年のヘッセおよびユングとの親交を綴った本のタイトルです。

「ヘルメティック」というのは、ヘルメス・トリスメギストスという、ギリシャのヘルメスとエジプトのトートが習合した神の呼び名に基づく形容詞ですが、ここでは「神秘的な」というほどの意味です。


ヘルマン・ヘッセの神秘主義思想は、『デミアン』の中で生き生きと描かれています。
その中から、いくつかの美しい記述をここに引用しましょう。


「われわれすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われわれはみんな同じ深淵から出ているのだ。」

「われわれの内部に、すべてを欲し、すべてをわれわれ自身よりよくなすものがいる、ということを知るのはきわめてよいことだ。」

「その夜、私はデミアンと紋章の夢を見た。紋章は絶えず変わった。デミアンはそれを両手にとっていた。小さく灰色だったかと思うと、ひどく大きく多彩だったが、いつも同じものだと、彼は私に説明した。」
(高橋健二訳)



ここで、ヘッセが象徴的な表現で語っているのは、森羅万象が現象する以前のところのもの、そして全てがその現象であるところの宇宙の本体とも言えるもののことです。

それ自体は、人間の善悪を超えたものであり、キリスト教の伝統の中で教義化されて捉えられてきた神とは違うという意味で、『デミアン』の中では、それにアブラクサスという異教的な神の名があてられています。しかし、勿論、それそのものは異教の特定の神でもなく、本来は名前すらもたないものと言うべきでしょう。

それは名前をもつようなもの全てがそこから生じてきた、不可視にして不可言表の源です。全てはそこから生じ、そこへと帰ってゆかねばなりません。

そして、それは全てを超え、全てを包んでいながら、常に同時に全てに内在しています。

それは、わたしたちの真なる自己でもあります。つまり、わたしたちが小さな自我を捨て去った時、わたしたち自身の内からこうした無限な存在が現われ出るのです。ヘッセは次のように表現しています。


「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」(高橋健二訳)



それにおいては万有が一体で、わたしたちは肉体を持った個々の存在でありながらも、それを通じて万有とつながり、あらゆる時代のあらゆる人たちと常に共にあります。

ヘッセ『デミアン』は、そうした存在をとてもリアルに伝えています。



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