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2012

いじめと自殺の「因果関係」

CATEGORY社会
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大津市の中学校でのいじめ問題が世間で大変な話題になっていますね。
いじめと自殺の因果関係は立証できない、という・・・。

哲学的に考えれば、心理的な「因果関係」というものは、どんな事であれ、いずれも「立証」はできないものです。
原因と結果の必然性を立証することは不可能で、蓋然性の高さの問題でしかないということを明らかにしたのは、ヒュームという哲学者でした。

しかし、こうした哲学的な厳密性を司法の場に持ち込むと、普段、それによって私たちの生活が成り立っているところの、いわゆる常識というものが通用しなくなってしまうのではないでしょうか。

こういう場で「立証できる因果関係」ということを言い出したら、たとえば、「正当防衛」と言うこともできなくなるはずです。
なぜなら、たとえば、いくら凶暴そうな大男が、か弱い女性にナイフを突きつけて、無理やり人気のない路地裏に連れ込んだとしても、その後彼が必ず彼女を暴行して殺すかどうかは、実証できないからです。
あるいは、人が拳銃で撃ってきたからといって、それが自分を殺すためかどうかは、実証できません。
実証はできないけれど、その蓋然性が高いと推測されるというわけです。

そこで、現に「正当防衛」ということが司法の場で認められているのは、厳密には蓋然性ということで判断しているということです。
私たちがある行為を「正当防衛」であったと判断できるとしたら、それは諸々の事実の「立証」によってというよりも、むしろ、そうした事実のもつ意味の理解(そこには「慣習」を通じての意味の形成と、それを前提とする「良識」が不可欠です)によってなのです。
つまり、その意味を常識に照らして理解できる、そうした意味を共有できている社会に生きている、ということになります。

大切なのは、そうした常識を共有する社会を、私たちが作っていくかどうかということになってきます。

今回の事件で言えば、「いじめ」(残酷で執拗な精神的、肉体的暴力や脅迫)と「自殺」との因果関係はあるという考えを常識とする社会に私たちが生きていたいと思うか、それともそうした関係はないという考えを常識とする社会に生きていたいと思うか、ということです。
もし、報道されているような行為と自殺とが関係ないというような法的判断が下されるとすれば、そして、それが多くの国民の良識に照らして異常なことと思われるとすれば、司法のあり方を変えていく必要があるということです。

人間というものは、抽象的な概念に陥ると思考停止になってしまうところがありますから、空虚なお題目(実証できる因果関係といったような・・・)を唱え続けて満足するのではなく、常に健全な社会をつくっていくことを考えるのが大事ではないかと思うのです。


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2 Comments

tamtam  

この事件の報道がもしも真実だとしたら
本来、守ってあげる側の教育のプロフェッショナル。。。

ひとつひとつの対応にとっても疑問が多すぎます。

香港ではこういう『いじめ』と言うニュースはほとんどないので
なぜ、日本の社会は多いのか、

グループ意識が強すぎて
はじきだされる特別な子の居場所がないのが
こういう結果になってしまうのでしょうか。

2012/07/16 (Mon) 11:32 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: tamtam さん

連日、驚くような報道がされていますよね。
でも、いじめがこのような形で問題にされたケースは稀ですね。
大概は、闇から闇なのではないか、という気がしてしまいます。

香港は、いじめ問題がないだなんて、素晴らしいですね!
社会そのものの健全性が土壌のようになって、子供たちも育つものなんじゃないか、と思います。

2012/07/16 (Mon) 19:14 | EDIT | REPLY |   

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