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06
2015

昔描いた絵 / 小澤真智子さんのリサイタル / ピアソラ「フラカナパ」

CATEGORY思い出
        1-RIMG0454.jpg



芍薬の蕾。
日付を見たら、12歳の時に描いたものでした。
本当はその頃、“抽象”という事に関心があって、自分の描いた具象画で残っているものは殆どありませんが、これは残っていました。


スイートピー。
抽象画を描くというのは、その対象の本質を成す線を、どうでも良い線から区別して、描き出すことだと思うんです。



1-IMG_5910.jpg



私は絵画教室や学校のクラブのような所で、皆して「さあ、これを描きましょう!」と言って描くのが、どうしても苦手でした。
また、自分が描く気になる時と、ならない時との差がありすぎて、とてもではないけれど、先生について絵を習うことはできませんでした。


そして、この前も書きましたが、この後、中学生時代は、ピアノに熱中しだしたんです。

で、ピアノもダメで、高校に入ってからは、美術史を通じて、いろいろ考えるのが好きになりました。

よく高校の授業をサボっては、大学の美術史の講義を聴講しに行きました。
中学生の時にろくに勉強しなかったので、私が入った高校では、あまりおもしろい授業がなかったんです。

10代の頃は、短期間にもの凄く何かに入れ込んで、今と比べてみて、とても長く充実した時間を過ごしたような気がします。
でも、学校の勉強に縁がなかったのは、それはそれで、ちょっと残念だったかな・・・。

小学校の1、2年くらいまでは、すごく外国語に惹かれて、外国語を習いたかったんですよ。
シューベルトの歌曲が好きだったので、本当はドイツ語を習いたかったのですが、他の欧米語か、中国語でも良いと思いました。
そうしたら、父や祖父が、「イー、リャン、サン、スウ」とか「ポン」とか「チー」とか「ロン」とか・・・
もう、うちの家族というのは・・・。
それで、私の外国語への意欲は、大体なくなりましたね・・・。


                  ◇


話題は全く変わりますが、この前、小澤真智子さんのヴァイオリン・リサイタルに行きました。
前半からピアソラで、私の好きな「オブリビオン(忘却)」の演奏もありました。
忘却 ―
ふと、人間の感情には、単なる記憶以上に深いものがあるのではないか、という気がしました。
たとえば、普段は思い出さなくても、全く変わらない感情というものもありますし・・。


小澤真智子さんの演奏会でいつも受ける印象ですが、終盤に近づくにつれて、いよいよ集中力が高まっていっている気がします。
聴衆も、ますます音楽の世界に引き込まれていきます。
作曲家でピアニストの松村牧亜さんによるタンゴ風の編曲で「いい日旅立ち」の演奏もありましたが、日本の歌謡曲とアルゼンチンタンゴには、相通ずるような哀愁があって、最初から「タンゴ」だと言われたら、タンゴに聴こえる曲のような気がしました。


そして、いつものことながら、プログラム構成が素晴らしかったです。
こういう構成ができるのは、音楽の事を知り尽くしている方だからなんだなぁ、と思います。
後半は若干の変更があり、曲目の順序も変わったのですが、その変更にも思わず感心してしまいました。
聴衆の気分を盛り上げて、惹きつけていくプログラミングになっています。


そして、最後の演奏がピアソラの「フラカナパ」で、彼女のタップダンス付き。
いよいよ本領発揮という感じで、既成のものを突き破る解放感と熱狂的な気分に包まれて、プログラムの曲目は終了。
鳴り止まない拍手で、アンコールが2回。
ピアソラの「リベルタンゴ」と、久保田早紀の「異邦人」のタンゴアレンジで、いつものことながら、聴衆は皆120パーセント満足だったのではないでしょうか。
(今回のリサイタルにも、天国からオクタービオさんがいらしていましたねぇ・・涙)


                  ◇


小澤真智子さんは、一時、ヴァイオリンをやめてタップダンサーになりたいと思ったことがあったそうです。
なんだか、そういう所にも、私は妙に共感してしまいました。


今回のプログラム前半の最後がピアソラ「レボリューショナリオ(革命家)」で、これはピアソラがタンゴの革命児としての自分の事を言っているのか、アルゼンチン生まれの革命家チェ・ゲバラの事を言っているのか、他のタンゴの革命的な作曲家の事を言っているのか分からない、という説明がありました。

こういう選曲をする気分というのも、分からなくないような気がします。
何の分野でも、独自の世界を築いている人は、皆、大なり小なり、革命的なのではないでしょうか。

少なくとも、自分自身にとっての一歩の前進が、革命的な努力を要求してくる場合もあって、そうすると、その結果出てきたものが、他の人たちのしなかった新しい事だということがあります。

そういう場合、「何か皆とは違った事をしよう」なんていう陳腐な動機があるわけでは全然なくて、ひたすら自分にとっての“次の一歩”の問題でしかないんですよね・・。


"Piazzolla Fracanapa (ピアソラ フラカナパ)"で検索してみたら、すぐ見つかりました。
小澤真智子さんのタップ・ヴァイオリンで、ピアソラ「フラカナパ」です。





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