ピアノの思い出 / ショパン「スケルツォ」第2番

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前回ポゴレリチを取り上げて、昔、ピアノに熱中していた時のことを思い出しました。
中学生の時です。

ピアノは小学生の頃から習ってはいましたが、中学に入ってから先生が代わりました。
新しい先生は、ウィーン・アカデミーを修了して帰国したばかりの二十代半ばの男性の先生でした。

いつも黒づくめの服で、長髪を横わけにし(・・それだけならちょっと格好良さそうでもあるのですが・・)、当時にしてはかなり珍しく、お姉言葉で喋る先生でした。


海外に行きたくて仕方がなかった私は、先生からウィーンの話を聞くのが大好きでしたし、先生が発する外国の雰囲気に興味を持ったと言うか、惹きつけられたと言うか・・・。
お姉言葉の、倍も年上の男性に憧れるなんて、我ながら、ずいぶん変な中学生だったと思います。
当時は同年輩の男の子から手紙なんかもらったりすると、ひどく興ざめしたものです。


先生は音大でも教えていらっしゃいましたが、若い生徒を育てて、ウィーンに行かせたいという想いを持っておられたようでした。
ご自身が帰国されたばかりでしたから、強い意気込みもおありだったのでしょうね。

私はというと、小学6年生の時にバッハに夢中になって、その頃、とにかくバッハを弾きたかった、という時期でもありました。
ですので、この先生に出会ってから、毎日、学校の時間以外はピアノを弾きっぱなしになりましたから、1日に6、7時間弾いていたと思います。
出された課題は何がなんでもこなしましたから、とりあえず先生からは気に入られました。


レッスンは週に一回、夕方、我が家で行われ、近所の子供たちもやって来ました。
しかし、毎回レッスンの後、よその子供たちが帰っていくと、私の両親も揃って先生とのお喋りに花が咲きました。
また、お姉言葉の方って、不思議と話が盛り上がるんですよねー。
とにかく、ウィーンの話が多かったです。
そして、先生は私の将来の事をあれこれ考えては、夢のような計画を立ててくれました。


その間、先生はすぱすぱと煙草を吸い続け、部屋中が煙の匂いになりました。
先生が席を立たれるのはしょっちゅう夜中の2時とか3時で、とっくに終電がなくなっており、父が車でお送りするという具合でした。
同居していた祖父母は、さすがに眉を顰めましたね。

深夜に至るお喋りにも、朝まで残っている煙草の匂いにも、私は妙な至福感を覚えたものです。
変かもしれないけれど、とにかく憧れの先生でしたから。


でも、後から思い返してみると、皆しておかしかったなぁ、と思います。
何が一番おかしかったかと言えば、当の私に、全然音楽の才能がなかったということです!
それなのに、先生は私の何を見込まれたんだろう???

しかし、本来、自分には全く手が届くわけがない夢の世界に、憧れの先生が熱心に誘い込んでくださるというほど、魅惑的なことはありません。
かなり夢見心地もあって、ピアノに夢中になっていました。
逆に、本当に手が届く世界の事は、出来て当然だと自分でも思いますから、もっと現実的な努力目標になり、憧れの対象にはならないんですよね・・。
その点、音楽は自分に判断基準がなくて、無条件に何でも素晴らしく感じられて、私にとっては夢の世界だったんです。


まあ、そんな具合でしたので、やがて先生も、私の見込みのなさに気づかれたようでした。
中学3年生の時は、私に受験勉強をちゃんとしろ、ちゃんとしろ、と口をすっぱくしておっしゃるようになりました。
私は、「なんでピアノの先生が、学校の勉強の指図をするんだ!?」と思って、ずいぶん反発してしまいましたが、今考えてみると、やっぱり親心だったんですよねぇ・・。
私は結局最後まで、勉強には関心が向かいませんでしたが・・。


そうした騒ぎが収まって、無事に高校にも入った頃、冷静になって考えてみると、確かに自分には音楽の才能がないなぁ、と思いまして、間もなくピアノはやめてしまいました。

でも、最近、またクラシック音楽を聴くこともあって、子供の頃、一時熱中したのは、やっぱり自分にとって良いことだったと思います。
また、私が家族以外の人と真剣に関わったのは、あの時が初めてだったという点でも、ちょっと特別な思い出になっています。


その後、20代になって別の勉強でフランスに行きましたが、我が憧れのウィーンには、未だに行っておりませんねー。


                ◇


今日の音楽は、やっぱりこの曲かな。
ショパン「スケルツォ」第2番。
初めて弾いたショパンの大曲で、かなり練習した、思い出深い曲です。
演奏は、やっぱり当時憧れだったマルタ・アルゲリッチですね♪





ただの思い出話ですので、コメント欄はなしです。


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