<スピリチュアル>雑感(2)考えなくて良いのか / Lemongrass "Coral Reef"

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今日は、<スピリチュアル>に関心のある方を対象に書きます。

こちらはスピリチュアル・ブログではないし、近頃はいろんな方がご訪問下さるようになったので、この種の事は、何となく書き難い感じもしてきていますが・・・最近、ちょっと書きたい気持ちになっているんですよね・・。

とはいえ、あまり、「こうしたら御利益が得られる」といった、皆さんの大好きな話を書く気はないのです。



前回は<スピリチュアル>擁護の立場から、科学万能主義に対する批判を書きましたが、今回は、<霊感>のようなものを前提としたうえで、<スピリチュアル>系の方々の間でよく見られる、<思考>に対する蔑視を問題にしたいと思います。



(今日の音楽は、Lemongrass の "Coral Reef" を付けておきます。)





記事は、「続きを読む」からどうぞ。



<スピリチュアル>とか、宗教でも瞑想を行うような所の人たちから、意外とよく聞くのが、「右脳」とか「左脳」という話です。

「左脳」を使うのはいけない、という・・・。

私自身の感覚を言わせて頂くと、あまり「脳」とか、そういうのでないところで得た直覚を、次に「右脳」でも「左脳」でも使って、整理するという感じです。

だから、「右脳」も「左脳」も大事です。

そして、意識や精神を「脳」という観点から見る物質主義的な整理の仕方を、スピリチュアル系の方がしている事に、私はどうも違和感を覚えるんですよね・・。

「右脳」だろうと何だろうと、「脳」を使って、瞑想したり、直感したりしようとしているのだとしたら、身体から離れて(・・つまり「脳」からも離れて・・)存在し得る意識が、想定されていないということなのでしょうか?


                   ◇


ただ物質主義的なら、それでも良いのですが、問題なのは、「考える事は左脳のする事で、それは直感を得る妨げになるから、考えない方が良い」と思って、考えてみれば簡単に分かる事まで、考えなくなることです。

たとえば、考えたり調べたりすれば間違いだと気付く事でも、偽善的な標語が並べられていたら、それに賛同してしまったり、場合によっては、一緒になって活動してしまったりするのは、とんでもない事だと思います。

考える気がないと、<直感>や<霊感>を働かせて吟味してみようという気も、起こらないのかもしれません。

あるいは、<直感>や<霊感>さえもないのか、と疑ってしまいます。
たとえば、前に民主党が政権を取るのを期待し、「良い世の中になる」と言っていた霊能者や<スピリチュアル>の方々は、<霊能>がないのかな、と思いました。

私でなくても、そういうところから疑いを向ける人たちは沢山いると思いますので、自分が詳しくもない事柄について、迂闊に綺麗事を言わない方が無難だと思います。


                   ◇


そして、考えなくて良いと思っていると、考え直すとか見直すという事ができなくなるので、自分が信じている事以外の事には何の価値も認めない、偏狭で閉鎖的な人をつくることにもなります。

特に、宗教や<スピリチュアル>に嵌っている人は、教えを絶対的だと思っている分、自分の頭で考えなくて良いと思ってしまうと、普通の人以上に偏狭で盲目的になり、それが傍から見ると、異様な雰囲気になっているものです。

まあ、他人から異様に見られて構わないとしても、問題はその閉鎖性が、皆さんの大好きな「魂の進化」を妨げていているという事です。

それについては、多少説明が要るので、いつかまた別の機会に書こうと思います。
(あるいは、前から時々書いているかな、とも思いますが・・。)



また、思考力がないと、<直感>やら<霊感>やらで何かを感じても、その深い意味を解釈することができないのではないかと思います。

だから、<スピリチュアル>を追求する必要上も、「思考力はなくて良い」、ということにはならないでしょう。


                   ◇


そして、前に 「六つの思考タイプ」 でも書きましたが、瞑想のような事をしている方たちがおっしゃる「思考」は、私からすると、本来の意味での思考に見えないことが多いです。

大概、何か、自分の不安や憤りといったネガティブな<感情>や、本当は自分はどうしたいかといった<欲求>について、あれこれ思いを巡らせることを、「考える」ことだと言っているように見えます。

特に<感情>の問題を<思考力>で扱おうとすると、<感情>の解決としても間違いやすいし、そもそも生産的な<思考>にすらならないと思いますので、それをやめておいた方が良いことは確かです。

そして、おそらく瞑想か何かをしようとしている時に気が散って、このような、「ああでもない、こうでもない」、という堂々巡りが始まると、それを「雑念」と言って、「考えてはいけない」と思うのかもしれません。

確かに、それはやめておけば良いと思います。

(座禅なのか、お祈りなのか、瞑想なのかにもよると思いますが、坐っていて雑念が湧かないようにする事自体は難しい事ではなく、何かに意識を向けて集中していけば、雑念は湧かなくなるものではないかと思います。)



しかし、だからと言って、日常生活全般の中で考えるのをやめてしまう事は、上にもいくつかの難点を挙げましたように、問題が多いと思います。


「六つの思考タイプ」でも書いたように、思考の対象は自分の<感情>や<欲求>の問題だけでなく、ざっと見ただけでも、<直観内容>、<真偽の判別>、<洞察内容>、<知識>、<イメージ>、<理想、理念>等あって、<思考>のあり方は、そうしたものとの関係によって、かなり異なる性質のものとなります。

そして、中には人間の精神性にとって、極めて重要なものが含まれていると、私は考えています。


(※ 注記   この前、「六つの思考タイプ」の「4.感情や欲求に基づく思考」の項で書くのを忘れましたが、特定の欲求実現の手段を考えるのは、本来の意味での<推論的思考>の働きで、どういう欲求を持つかによって善悪分かれますが、これは<思考>として有効です。あの記事では、<特定の感情や欲求の正当化のための思考>を問題にしました。)


                   ◇


また、自分の願望から、<直感>や<霊感>も得たいと思っていると、何でも願望から見てしまいますから、<直感>や<霊感>すら曇ることがあると思います。

私は、人間には<理性>というものが大事だと思います。

<理性>とは、願望や欲求を離れて見る能力です。



<理性的にものを考える>、というのは、自分の願望や欲求を離れたところに浮かび上がってくる<真実>に、思念を凝らす、あるいは耳を澄ますという事だと思います。

<直感>ではなく<理性>の方向であっても、ずっと思念を集中させていくと、単なる個人的な脳の働きと思えない事が起こってきます。

というのは、<真実>は、個人の主観的な思いではないからです。

こうした場合に生じる直覚は、<直感>ではなく、<直観>というものになると思います。



私は、理性否定の方向、動物的な心地良さや安心感の方向にあるのが<スピリチュアル>だという考えに、とても同意できません。

欲求実現のための手段としての道具的な理性というものがあるのは確かだけれど(・・それが科学を発達させたわけですが・・)、私は人間の理性の内奥には、どこまでも神秘的なものがあると思う。



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10 Comments

korva  

Arianeさん、こんにちは^^

スピリチュアルといえば、
もう20年以上前に読んだと記憶していますが、
体外離脱で有名な、ロバート・モンロー氏の著作に、
「人間は右脳の発達は十分で、左脳の発達が足りていない。
 鍵となるのは論理思考で、私はピンチを常に論理思考によって切り抜けてきた。」
というような意味のことが書いてあっったのが、ずっと心に残っています。

多分、自分にはそれが足りていないという、無意識的な自覚があったからだと思います。
もともとイメージの世界を漂っているような人間なので・・・
そして、私がプログラミングにはまって、論理思考を鍛える過程も、
自分の教育プログラムの一環で、初めからの計画の一部という気がしています。

スピリチュアルにも色々なものがあって、
ご利益的なものを期待させるものは、「サラ金」的なもので、期待を抱かせて、
寄ってきた人々を、自分たちの利益のために利用しようというものだと感じます。

そして、思考をするなというタイプのものは、
結局、だましやすい人々を作るために、そう言っているような気もします。
正しさに自信があれば、よーく考えてみてください、となるはずです。

私も、いろんなスピ系のブログを拝見するのですが、
現実をありのままに見て、最適解を思考によって導き出すというより、
現実をありのままに見ないために、信念によってフィルターを強化し、
「自分の世界」の中から不快なものを無くすことや、
視野を狭めることによって、不快なものを見えなくすることなどを、
目指しているものが多いです。
とりあえず、不快なものが自分の視界に入ってこなければいいやと、
「頭かくして尻隠さず」の心理状態になりたいのかなと、
よく疑問に感じるのですが・・・

なので、そういう人たちは、
目も前にある不都合な事実がまったく見えないようで、
(見ることを禁止しているので)
それに対する対策を考えることも、
汚らわしく忌まわしいことだと感じるようです。

悪を見ることを禁止するのは、
悪が活動しやすくするためなのでは?とも思いますが、
そういう人は、現実をありのままに見る人が悪という、
なんとも奇妙なことになっています。

本人は、「魂が進化した上級な人間」のつもりですが、
私からは、表面上綺麗な悪への、
奴隷志願なのかロボット志願なのか、とも見えます。
というのは、彼らは結果的に、
悪意から奇麗事を言う人たちにシンクロしているからですが。

プログラミングでは、起こりえるあらゆる場合を想定して、
「こういう場合はこうする」というのを一々決めなければならないので、
現実の問題に対しても、思考の癖で、
起こりえる場合を色々と想定して、それに対する対策を考えます。

政治家なんかも、それと同じように、現実をありのままに見て、
起こりえるあらゆる場合を想定して、それに対する対策を考える、
ということが求められると思いますが、
スピ系の人はそれとは逆の傾向で、
自我にとって不快なことはできるだけ考えないために、
現実をありのままに見ないためのテクニックを、
高めようとしているようにも見えますし、
結果的に、自由や愛や知性という魂の属性を、
損なっているようにも感じます。

政治家なんかの人間性が気に入らないといっても、
地位が高くなれば人間性がそうなりがちだという構造的な問題もあるので、
反体制の人が政治家になっても、やはりそういう人間に、
または、それよりひどい人間になるだろうと思います。

スピリチュアルへの批判ばかりになってしまいましたが、
スピリチュアルは良いことも沢山含んでいるとは思います。
ただ、考えることによってしか、世の中は良くならないと思いますし、
考えることを放棄するのは、悪にとって、
活動しやすい世の中を造ることになるだけだと思います。

2015/09/21 (Mon) 11:02 | EDIT | REPLY |   

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2015/09/21 (Mon) 12:57 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: korva さん

korva さん、こんにちは^^
いつもこの種の記事にコメント頂けて、大変嬉しく思います。
あまり批判しないように気を付けようと思っていたはずでしたが、結構批判的になってしまいました。
ただ、悪口を言う意図はないのです。

スピリチュアル関係の方で、論理的思考の大切さを説いてくれている人がいるというのは、喜ばしいことですね。

korva さんが、もともと論理的でないタイプの方だったというのは、意外です。
korva さんには共感するところが多いのですが、私も論理的思考は後から身に付けました。
大学生の頃は、私がものを言うと、よく「禅問答だ」と言われました。
論理的思考を身に付けるというのは、道具のない世界から、道具のある世界に移行するくらいの違いがありますね。
私の場合は、それによって直観もまた、どれだけ養われてきたか分かりません。

プログラミングでは、起こり得るあらゆる場合を想定するのですね。
そうした場合、総合的な思考力というものが鍛えられるでしょうね。
私はプログラミングというものを全然知りませんが、それでも論理的思考として共通するところがありそうで、興味深いです。
そういう意味で、先日の korva さんの記事は、とても面白かったです。

スピリチュアルや宗教も、組織のようなものになると、組織自体を維持、発展させていくために、妙な屁理屈を言い出すことがありますね。
本当に、自分の正しさに自信があれば、相手に考えさせるものだと思います。

そして、考えるのを放棄することは、悪が活動しやすい世界を創ることだというのも、全く同感です。
宗教者たちが上辺の綺麗事に乗っかって、ここで自分たちの存在意義を示そうとばかりに、余計な政治的発信をすることを、私はとても残念に思います。

本当に良いことや正しい事をしようとしている人たちは、それを美しい言葉で飾ったりはせず、内容を説明して、その必要性を説くだけです。
逆に、妙に旨い事を言う場合は、隠れた意図があったりしますよね。
それが、そのままでは絶対に通らない事だと分かっている場合、搦め手から人が反対できないようなスローガンを掲げたりします。
だから、単にスローガンだけを聞いて、善悪の判断を下してしまうのは、世界を悪くしていく片棒を担ぐようなものだと思います。
おっしゃるように、「結果的に、悪意から奇麗事を言う人たちにシンクロしている」ということになりますよね。
思考力があれば、内容から考えていくから、どういう人たちのどういう意図で、どういう話になっているか、ある程度察しが付くものだと思います。

最近のスピ系の方たちについては、korva さんの方がお詳しそうですが、自分にとって不快な事や不都合な事実は、できるだけ見ないようにするのですね。
不快な事が目に入らないように、わざわざ視野を狭くしているのでは、傍から見ても、偏狭な人に見えるわけですね。
自分の精神の快適さを求めるために、「現実をありのままに見ないテクニック」まで使うというのは、病んでいるとしか言いようがないと思います。
そういう事をしていると、ご自身が抱えている当の問題も、解決しにくいのではないかという気がします。

ただ、これは私自身にとっても、良いご指摘を頂いたと思います。
私もしばしば、汚いものを見るのに疲れてしまって、見たくないと思うことがあります。
自分と異なる意見を持っている人たちが、醜い言動をしているというくらいなら、まだ良いのですが・・。
私個人に関係ない事でも、世の中の汚い事実を知ってしまったりすると、私は心が傷付くところがあり、事柄によっては、それを治すのが結構大変です。
だからと言って、見ないというのはいけない事ですね。

ご丁寧なコメント、ありがとうございました。

2015/09/21 (Mon) 17:44 | EDIT | REPLY |   

yuccalina  

Arianeさん、こんばんは。
私はヨガを通して瞑想を行っている人間ですが、教えられてきたのは、思考をするのがいけないのではなく、瞑想で自分を見つめて土台を築くことで、より良い思考に結び付く、と言うことです。ヨガではよく「意識的に行う」ことを教えられます。何かを欲した時に、本当に心からそうありたいのか?自分の胸に聞いてみましょうと。それはつまり、欲求一つを取ってみても、一時的な幻想である場合もある。人の心は常に不安定で揺れ動きやすいことを自覚するために瞑想をする、と言うのが私の理解です。
ただ、受け取り様では、考えることが悪と捉えられかねないのは確かですね。ですから、瞑想を教えるヨギー&ヨギーニは、かなり、考え方のしっかりした方でないと、結構危ない仕事なのかもしれませんし、修行にヨガを取り入れるカルトが多いのもよく分かります。

2015/09/21 (Mon) 18:06 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: 鍵コメさん

鍵コメさん、こんにちは^^
こうした記事をお読みくださって、共感して頂けるのは、とても嬉しい事です。
というのは、自分でも、自分の話が理屈っぽくて一般受けしない事を知っていますし、人によっては何かと不審に思われもするでしょうから・・苦笑

多くの人たちは、気分やイメージで気持ち良さそうな事を求めていらっしゃると思います。
私は、あまりにそういうものばかりに浸ってしまっていると、何か胡散臭く、大事なものを忘れている気がしてきてしまって、ダメなのです。
こちらのブログでも、この数年、綺麗だと思うものばかりを集めてきたら、最近、自分自身でちょっと飽きてきてしまいました・・笑

スピリチュアル関係は、多分、良い本もたくさんあるのだと思いますが、御利益の追求だけだと、どこに連れて行かれるか、分からないと思います。

音に色と形が見えるとは、面白いですね!
そうした感覚をお持ちの方がいらっしゃる、という話は聞きますね。
私には無い感覚ですが、そうした事があっても、不思議ではないかもしれません。
五感と言っても、一人の人の意識として、繋がる部分を持っているわけでしょうから・・。
そういえば、私は中学生の頃、人を見るとかなり具体的な色が見えて、どうして色が見えるのかなぁ、と思ったことがありました。

コメントありがとうございました^^

2015/09/21 (Mon) 18:10 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: yuccalina さん

yuccalina さん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。

「より良い思考に結び付く」というところがあるのは、正統派だと思います。
特に yuccalina さんは、思考力も高いレベルでお持ちですよね。
yuccalina さんの流派は偏ったところがなさそうですが、スピ系の中には「左脳」や、一般的に「思考」蔑視が甚だしい人たちもいて、今回はそうした人たちに対して、ちょっと批判的に書きすぎたかもしれません。

yuccalina さんのお話を伺って改めて思いましたが、思考と思考でないもの(・・と言うのでしょうか、直感でも直観でも直覚でも良いのですが・・)、この二つは人間にとって、車の両輪のようなものかもしれませんね。
どちらかばかりになると、何処かに支障が出てくるのではないか、という気がします。
一般的には、直感的なものが忘れられがちだから、スピリチュアルではそちらばかりが強調されるのでしょうね。

自分の感情や、自分の本当の欲求が何かといった問題を扱うのに、思考というものが適さないのは確かで、そこで瞑想のようなものが有効だというのはよく分かります。
おっしゃる通り、人の心は常に不安定で揺れ動きやすいですね。
そこで、そうした心を対象に思考してしまうと、振れ幅が余計大きくなりますし、ましてそこで考えた事を言動に移してしまったりすると、いよいよ心の動揺が具体的な形になり、後戻りできなくなったりすると思います。
そういう意味で、考え込まない方が良い事というのがあると思いますが、客観的世界における真実や宗教的真理の追究については、思考力がないと行き詰りが多いのではないかという気がしています。

2015/09/21 (Mon) 21:33 | EDIT | REPLY |   

ponch  

Arianさん、こんばんは(^-^)

スピリチュアルって、心霊的なものと思っておりましたが、つまるところは眼には見えないものを感じることですよね。

そういう意味では、発達障害はスピリチュアルとは対極の存在で、自分から見ると、普通の人々は皆スピリチュアルな存在に見えます。

自分には霊感はまったくないし、唯一の怪奇現象といえば、拙ブログの怖い話で取り上げた、録画したエクソシストが見れなかったことくらいでしょうか。

何だかズレたコメントで済みませんでした。

2015/09/24 (Thu) 18:34 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: ponch さん

ponch さん、こんにちは^^
コメントありがとうございます。

発達障害については詳しくないので分かりませんが、普通の人の中にも、唯物論者は多いですよ。
そして、あまりに霊的なものに対する志向が強い場合も、問題があるケースがあるらしく、パーソナリティ障害の中の「失調型(スキゾタイパル)」というのに当たる場合もあるようです。
これはパーソナリティ障害の中では、統合失調症に近い遺伝形質を持っているタイプだそうで、なぜ「失調型」と訳すのか知りませんが、独特で常識を超脱した知覚や思考を持ちすぎて、周囲から変人扱いされて、孤立しがちなのだそうです。
それで、対人関係やコミュニケーションの取り方が、アスペルガー障害と似たところがあるそうですが、アスペルガーがいわば客観的、観察的で唯物論的志向を持つのに対し、失調型パーソナリティ障害のほうは、観念論的な内的世界への志向を持つという違いがあるのだという話を読んで、面白いと思ったことがあります。
私なんかは、こちらの方の傾向を心配した方が良さそうです・・笑

録画した『エクソシスト』が観られなかったのは、不思議ですねぇ。
『エクソシスト』と言えば、あの有名なテーマ曲、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」は、一通り聴くのに小一時間かかったかと思いますが、私は結構好きで、昔よく聴いていました^^

2015/09/24 (Thu) 20:54 | EDIT | REPLY |   

Violetta  

Arianeさまこんばんは^^

今回の記事はとても専門的ですね〜。
右脳と左脳の話はよく聞きますが,勉強は左脳?音楽は右脳?それすらよく覚えていません^^;
今回の記事を自分の事に置き換えて,読んでみたりしていました。
自分の願望から、何でも願望から見てしまいますから、<直感>や<霊感>すら曇るんですね。。。

確かに私は願望から直感を信じてしまい失敗だったと後からわかりました。
恋愛などは直感を良い方に妄想してしまったり、また,悪い方に妄想したり。。。
あると思います。
こういう場合、後になって私の直感は当たらない物なのだなと、気づきます。
理性的に物が考えられる人だったら,人はもっと生きやすいのでしょうね。。。
そんな人になれたら良いのですが私は本当に不器用です。。笑

2015/09/24 (Thu) 21:31 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Violetta さま

Violetta さま、こんにちは^^
コメントありがとうございます。

私も、右脳、左脳という話は、そんなに知らないのです。
よく右脳の働きは、感情、イメージ、直感、左脳の働きは、言語、論理、計算とか言うようですね。
でもべつに、どちらが右でも左でも、どうでも良いかな~、という気がします。
問題は、すごく直感を重視する人たちがいるけれど、間違う要素を温存したままの直感では、意味がないんじゃないか、ということですね・・。
人間は結構、欲求や願望でものを判断しますから。

でも恋愛となると、そんなに冷静に理性的、客観的にものを見るのは、誰でも難しいでしょうねぇ・・。
そこで、「駆け引き」というのが、あるんでしょうね・・笑
でも、いろんな事で弱っていたり、辛かったりする時は、余裕をもって駆け引きもできないし、悪い相手を、良く見積もってしまいがちですね。
失敗したとおっしゃっていますが、そういう時に出会われたお相手だということは、ありませんか?

かく言う私も、何かと悪い方の妄想はありますね・・笑
悲観的なんでしょうね。

2015/09/24 (Thu) 22:54 | EDIT | REPLY |   

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