存在のリアリティ ~ マグリット展を観て ~

Georgette 1935

「ジョルジェット」(Georgette, 1935 年)



マグリット展も、もう来週の月曜日で終わりですね。
そんなに展覧会に行く習慣はないのですが、急に、「観ないと!」という気になりまして、先日行ってまいりました。


マグリットは1938年に『生命線』と題する講演を行っていて、この中で自分の絵画について語っているのですね。

今回の展示には、ところどころ、マグリット自身の言葉がキャプションとして付いていて、面白かったです。
と言っても、半端ではない混雑だった上に、私が入館したのは夕方の遅い時間でしたので、こうしたキャプションも、たまに気になった所しか読むことができなかったのは残念でした。


それでも驚いたのは、マグリットという人は随分哲学的な発想をする人だったんだ、という事です。
画家が存在に拘るのは良く分かりますが、マグリットには認識論的な視点から見ているテーマが多く、これは画家として随分珍しいことなのではないかという気がしました。



マグリットの言葉をろくに読むことができなかったのが残念で、家に帰ってからネットでカタログを探して注文しました。

<認識論的なテーマ>に関しては、後日、できればマグリット自身の言葉を引用しながら書きたいと思います。



La lecture défendue

「禁じられた書物」(La lecture défendue, 1936 年)



そういうわけで、今回は全く雑駁な感想にすぎませんが、最初に思ったのは、マグリットに限らず、多くのシュルレアリスト(超現実主義者)たちが目指していたのは、必ずしも「シュル(超)」の方ではなく、つまるところは「リアリティ」、つまり存在感の方だったのではないか、ということです。

ただ現実離れすれば良いのだったら、幻想画のようなものを描いていれば良いような気がします。
龍や麒麟であるとか、神話に出てくる変わった生き物の絵とかでも、十分「超現実的」です。

もちろん彼らは、現実を現実そのままには描いておらず、「リアル」な存在は追求していません。

しかし、「リアルな存在」と「存在のリアリティ」は別だなぁ、という事を感じました。
("reality" に「迫真性」とか「真実性」という意味がありますよね。そういう意味での「リアリティ」です。)

シュルレアリストたちは、「存在のリアリティ」を追求していて、あのような表現によって、むしろ現実以上の「リアリティ」に達していたような気がしました。

ふと、そんな事を思ったのは、今回の展覧会の雑踏の中で垣間見えた解説文に(・・それ以上、見る余裕がなかったのが残念でしたが・・)、マグリットが「問題」と「解答」という方法論を取っていた、といった言葉があったからです。

「解答」というのは、ただの「思いつき」でも「空想」でもありません。

何か、存在の「真実」を捉えたものでなければ、「解答」とは言わないだろうと思ったのです。


La clairvoyance 1936

「透視」(La clairvoyance, 1936年)



存在のリアリティというものは、日常のどうかした場合にも、突然現れて、私たちを驚かせます。

たとえば、こっくりとした影が黒々と出来る時、その存在の存在感が際立ちます。
また、思いがけない様相でものが現れる時、私たちは思わずはっとする程、その存在感に捉えられます。

私たちがある種の異様さに強い印象を受けるのは、必ずしも「奇抜さ」のためではなく、「存在感」に驚くからではないでしょうか。

おそらく私たちは、奇想天外なだけの物を、単に「リアリティがない」と思い、ただの「作り物」と感じ、「作り物なら、何でもあり得る」としか思わないでしょう。


IMG_1408-1.jpg

(私なんかの写真で誠にもって恐縮ですが、たとえばこの日は、曇り空だったにも拘わらず、夕方の強い陽射しが西から差し込んで、薄暗さと眩しさとが一つの光景の中に同居していました。

そういう時の対象の「存在感」に、私は驚かずにはいられないのです。)



「存在」は、思いがけない様相で現前する時、私たちが習慣的に思い込むことによって見落としてきた別の面を露わにし、「存在」自身を見せつけてくるのではないか、という気がします。

たとえば、機能をもった物が働きのうちにある時には、その存在自体は、用のうちに埋没していていますが、その用を失った時に、「物」としてありありと現前してきます(たとえば打ち捨てられた廃船とか・・)。

シュルレアリストたちは、私たちが日常の中でも体験する「存在」のそうした「存在感」を追求していったのではないか、という気がしました。

シュルレアリスムが自覚的に何を目指していたのかは、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』でも読むと、いろいろと言いたい事が書かれているのかもしれませんが、少なくとも、一般に多くの人たちがシュルレアリスムに惹かれるのは、そこに描かれている「存在感」の強烈さ故ではないでしょうか。


                    ◇


それから私個人として興味深かったのは、マグリットが中年期に危機的な時期を経て、それを乗り越えていたらしい、という点です。

(ハゼドンさんの 「人生のランチタイム・・・。」 という記事に、40歳から50歳頃の中年期への移行期が、人生の「転換期」でもあり、「危機の時期」でもあるというユングの指摘が紹介されています。)

戦後、しばらくの頃(1943~48年頃)、つまりマグリットが45歳から50歳の頃なのだと思いますが、それまでの画風と全然違う、印象派的な絵や、荒々しい漫画のような絵を描いていた時期があって、それがいかにも具合悪そうなんですよね・・。

評価もされなかったようですし、結局マグリット本人も、従来の路線へと戻ります。

考えてみたら、マグリットはそれ以前の若い時期に、かなり完成された自分のスタイルを確立しています。

このままずっと一生、同じ事を繰り返していくというのは、人間として相当きつい事だったのではないかと思うと、ああした時期は必要だったのだろうという気がしました。


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8 Comments

はるま  

こんにちは~

マグリットの絵を見ても
????不思議の連続で、
全く理解できません(^^;
これの何が面白いの?
って感想しかないです。

Arianeさんが言う「存在のリアリティ」、
機能を持ったものが機能しなくなった時に、
物としての存在が浮かび上がってくるって、
表現には納得できますが、
マグリットの絵の中に、
それを見出すことが出来ないです(^^;

分かる人には分かるんでしょうが、
芸術は難しいですね~

2015/06/26 (Fri) 12:36 | EDIT | REPLY |   

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2015/06/26 (Fri) 16:47 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: はるまさん

はるまさん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。

シュルレアリスムは、ご関心のない方も多いでしょうね^^
この記事に対してコメント返しをしなければ、と思わせるのはお気の毒なような気がしまして、実はこの2、3日、皆様にコメントを差し上げるのを、ちょっと控えておりました。

でも、良いご質問を頂きましたよ^^
「機能を持ったものが機能を失った時」というのは、「ものが思いがけない様相で現前する時」という事の、一般的な意味での一つの例として挙げましたが、必ずしもマグリットに特徴的なものではありません。
赤瀬川原平さんたちが「超芸術トマソン」と名づけた概念がありましたよね。
これは、塞がれた門や窓など、本来はある役割のために作られるものが、その役割を果たしておらず、ただの「物」でしかないようなものです。
そのトマソンの中に、「無用階段」とか「純粋階段」とか呼ばれている、ただの階段がありますが、今回載せたマグリットの2枚目の絵に、ちょうどこの「純粋階段」がありました。
ただ、マグリットは必ずしも、こうした方向に狙いを定めて模索した人ではなかったと思います。

コメントくださって、ありがとうございました^^

2015/06/26 (Fri) 23:28 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: 鍵コメさん

鍵コメさん、こんにちは^^
コメントありがとうございます。
鍵コメさんのように素晴らしいお写真を撮られる方から、写真をお褒め頂けるのは光栄です。

私は10代の頃、シュルレアリスムに惹かれていましたが、その後は、絵画そのものから大分気持ちが離れていました。
今観てみて、自分がシュルレアリスムに惹かれたのは、その存在感のためだったんだと、すごく納得しました。
また、展示に付いているマグリットの言葉が面白かったんです。
作家が言葉で説明する事というのは、作品に遠く及ばないことが殆どかもしれませんが、マグリットは珍しく的確に説明している人ではないかという気がしました。

私は音楽は、美術よりも好きですが、理解は、と言うと、全くできていません。
山崎亮太さんの演奏は、あの後 YouTube で、いろいろ聴きました。
本当に、新しいものに出会うのは、楽しい事ですね^^
いつも鍵コメさんがブログでご紹介くださる YouTube を、楽しみに聴かせて頂いております。

2015/06/26 (Fri) 23:55 | EDIT | REPLY |   

korva  

>多くのシュルレアリスト(超現実主義者)たちが目指していたのは、
>必ずしも「シュル(超)」の方ではなく、つまるところは「リアリティ」、
>つまり存在感の方だったのではないか

同感です。

意識の状態を一定に保っているときは、
何がリアリティーを持つかというのが問題になりますが、
意識の状態が変わってしまうときは、
何にリアリティーを感じるかどうかが問題なると感じます。

例えば、夢の中に出てきた動物に対して、
「これはあの人だ」というのを、ごく当たり前のこととして感じたりします。
起きているときの意識状態では、リアリティーの無い話でも、
意識状態が変われば、当たり前にリアリティーを感じる話というものもあります。

そして、夢の中の出来事が、現実の出来事以上に、
より深く魂に刻みこられることがあるのは、
特定の意識状態からすれば、リアリティーの無い話でも、
別の意識状態からすれば、
より深いリアリティーを持つからなのかもしれません。

シュルレアリストたちが描いていたのは、
他の人から見れば、いわゆるシュールに見えるものであっても、
当人にとっては、単に、より深いリアリティーを
感じるものだったのかもしれないとも思います。

2015/06/27 (Sat) 09:06 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Korva さん

Korva さん、こんにちは^^
コメントありがとうございます。

「夢の中に出てきた動物に対して、『これはあの人だ』というのを、ごく当たり前のこととして感じたりする」とのこと、その感じはすごく良く分かる気がします。
私自身は、「動物」という姿で見たことはありませんが、全く何の映像も音声もストーリーもない夢というのを何度か見たことがあって、白い靄のようなものしか見えないのに、そこに誰がいるのか、はっきり分かっているという夢でした。
一度は、その1日か2日後に相手から連絡がきて、実際に会うことになりました。
夢を見たことを、言ってみれば面白かったかもしれませんが、言わなかったんですよね・・。
別の一回も、相手は生きている人だったので、夢の事を言おうと思えば、その機会はあったのだろうと思いますが、その夢では相手の感情まではっきりしていたので、言い出せる気分ではありませんでした。

Korva さんとは、前にも何度かこうした話になりましたが、夢によっては、現実以上に強烈な感覚を持つことがありますよね。
この前、Korva さんが返信コメントに書いてくださった、「愛の心から行うことは、表面上は自分の望み通りに上手くいっていなくても、魂の上では望み通りになっているのだ」という夢の中でのメッセージには、私自身も励まされる思いがしました。

いろんな種類の夢があると思いますが、シュルレアリストたちがよく夢を重視したらしいのは、夢の中の感覚の方が強烈だったからなのではないかと、私も思います。

「意識の状態を一定に保っているときは、何がリアリティーを持つかというのが問題になるが、意識の状態が違う時には、何にリアリティーを感じるかが問題になる」という点は、とても重要なご指摘だと思います。
宗教や哲学などで言う「真実在」とは、<普段の感覚的な意識より明瞭な意識で捉えられた対象>ということでなければならないと思われます。

2015/06/27 (Sat) 13:58 | EDIT | REPLY |   

yuccalina  

こんばんは。
マグリット展、見に行けずに終わってしまいました。確か20年位前にもありましたよね?図録はないのですが、その時に買ったポストカードが残っています。当時はシュールリアリスムのなんたるかも分からずに、見に行ったのですが、空に浮かんだ鳩のクッキリとさしたシルエットに、鮮烈な印象を受けたものです。

よく型破りは型がちゃんと出来てるから成り立つと言いますが、シュールリアリスムも、リアルがあってこそのシュールってことなんでしょうか?

超芸術トマソン博覧会は、知人が参加してて、池袋パルコへ見に行った記憶がありますが、当時の私の中ではシュールリアリスムと繋がってませんでした。その知人は赤瀬川源平の考現学教室に通ってて、バナナの絵ばかり描いてたのも、そうか、バナナの形にリアリティを追ってたのか、と今更ながら納得しました。

ところで、私は40歳でヨガと出会ったことで、この10年でとても変化したような気がします。今思えば、正に人生の転換期だったのかもしれませんね。

2015/06/30 (Tue) 19:33 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: yuccalina さん

yuccalina さん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。

マグリット展は、わりと繰り返しやっていたみたいですね。
私は、20歳前後の頃、一度行った覚えがあります。
シュルレアリスムはかなり好きだと思ったのですが、当時は何に共感しているのか、分かりませんでした。
今回、行ってみて良かったです。

昨日になって、「一般的にシュルレアリスムは何と説明されているんだろう?」と思い、ネットで検索してみたら、『シュルレアリスムとは何か』(巖谷國士著)という本が見つかりました。
レビュー等を見ると、やっぱり、超現実主義の「超」は、たとえば私たちが「超特急」と言うような意味での「超」だということのようです。
別の解釈もあるかもしれませんが、シュルレアリスムに共感する人は、やっぱり、そう見るんじゃないか、という気がします。
この本は、そのうち読んでみようかと思います。

超芸術トマソン博覧会に参加していたお友だちがいらしたとは、面白いですね。
バナナですか~(笑)
見てみたいです。

40歳で新しいものに出会って、世界観の変化があったというのは、すごく良い感じの流れですね。
私はこの5~6年来、次の新たなあり方を見つけなければならない状態なのですが、体力の衰えもあって、きついですね・・。
ようやく、長いトンネルの出口の光らしきものが、遠くに見えてきたような気もしています。

2015/06/30 (Tue) 23:56 | EDIT | REPLY |   

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