ひとり言 / "O Holy Night"

0023-002.jpg



今日は、ひとり言です。

若い時に比べてすっかり勇気がなくなってしまっていた自分にふと気が付き、もう少し勇気をもたなくてはいけないな、と思いました。

自分を守ろうという気持ちがあると、人生が縮こまっていくのですよね・・。

もちろん、蛮勇や無謀や無責任はいけませんが。



勇気をもって覚悟を決めてしまえば、もうそれだけで大方は解決する、ということが沢山あるものですね。

苦からの解放を希求するより、もっと他にやる事があって生まれてきているはずだと、ふと思いました。

覚悟をもって生きようという態度において、魂の本源的な力が発揮される・・・それを「気概」と言うのかもしれません。

未来に対して恐れを抱くと、元気がなくなりますが、志を抱くと、元気が出てくるような気がします。



人生の諸先輩方は皆、生老病死を受けとめて、

覚悟をもって生き、覚悟をもって亡くなっていかれたのだろう、と思います。

私は年配の友人が多く、今年は、喪中のお葉書をどれだけ頂いたか分かりません。

高校時代の親友も、亡くなってしまいました。

友人たちの死は、自分の人生を考えさせますね。

不思議と、友人たちが求めていたことに、応えていけるように生きていきたい、という気になるものですね。


              ◇


クリスマス間近ですので、デヴィッド・アーチュレッタの歌で O Holy Night を付けておきます。




              ◇


今日はもう一つ、「クリスマス」について。


あるブロ友さんに、「イエス・キリストも12月生まれですよね」と書いたところ、「知りませんでした、何日生まれなのですか?」と聞かれ、「えっっ? クリスマスではないの!?」と思って不安になり、慌てて Wikipedia を見たんです。


こちらこそ知りませんでした。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝うお祭りの日であって、誕生日がいつなのは、本当はよく分からないのですね・・・(!)

それは聖書に書かれておらず、いろんな説があり、3世紀の初め頃には、5月20日なんていう説もあったそうです。

考えてみれば、そんなに昔の事は分からないものかもしれないけれど、それにしても随分昔の時点で分からなくなっていたのですね。


イブの日に、"Holy Night" とかって歌うんですもの・・・

今までずっと、12月25日がイエス・キリストのお誕生日だと思っていました。



           IMG_0706.jpg


関連記事
スポンサーサイト

14 Comments

コウコ  

Arianeさん、こんばんは。

私も若い頃と比べて勇気がなくなってしまったと時々思います。
勇気をもって覚悟を決めることが大切・・・ほんとにその通りですね。

<苦からの開放を希求するより、もっと他にやる事があって生まれてきたはず>
共鳴致します。私は背負いきれない苦からは方向転換をし、身辺の苦は視点を
変えてきました。<もっと他にやることがあって生まれてきたはず>
やはりこのような考え方が心の支えになりました。

ブッタが、人生は苦だが生きるに値する、と云うような言葉を遺していますが、
苦で当たり前と思うことで、随分気持が楽になりました。
生きるに値する生き方を探す旅こそ、人生なのかもしれませんね。

Arianeさんはご友人を亡くされ
<友人たちが求めていたことに、応えていけるように生きていきたい>
と書かれておりますが、友だちは宝ですね。
良い人生がひらかれた時は、必ず良き友との出会いがありました。

パソコンの調子が悪く、修理に出したりしてご無沙汰致しておりました。
前の記事も拝読させて頂きますね。

☆ Arianeさんのところの冬薔薇ですか? 色合いが濃くて香りも凝縮して
いる感じですね。我家の薔薇の切り花ですが、卓上で蕾が開きました。
花も長持ちして、冬の薔薇の良さを初めて知りました。


2014/12/16 (Tue) 17:44 | EDIT | REPLY |   

Violetta  

Arianeさま こんばんは^^

若い時に比べてすっかり勇気がなくなってしまうことって、確かにあるかもしれません。
若さがあるからもの凄い集中力もあり、出来てしまう事もありますものね〜。

勇気をもって覚悟を決めて行動に移す事は、大事ですよね〜。
私もそうありたいです。
前向きに生きる事が出来るのも、大切な家族やお友達が居てこそなのかもしれません。
最近思う事は、やはりお友達は大事だなって思います。
これからも、お友達が出来たら本当に大切にしていこうと思います。

O Holy Night 懐かしいです 2年前のクリスマスコンサートに出演したときに歌いました^^
いろんなバージョンがあって楽譜をわざわざ大阪まで見に行って決めたんです。

キリストの誕生日は12月25ではないんですね〜。
私も知りませんでした。

また仕事仲間の宣教師にその辺のお話を聞いてみたいと思います^^

オレンジ色のミニ薔薇 素敵ですね^^

2014/12/17 (Wed) 01:09 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: コウコさん

コウコさん、こんばんは^^
いつもご丁寧なコメントを下さいまして、どうもありがとうございます。
お返事が遅くなってしまってすみません。

共感して頂けて嬉しいです!
一般的に、年を取ってくると、勇気がなくなってくるものなのかもしれませんね。
私は若い頃は無謀だったのですが、それにしても気弱になり出すと、どんどん加速していって、さすがにこのところ、我ながらひどいなぁと思うようになりました。
でも、その気になってみると、若い頃よりは自信が付いてきているところもあり、この年だから出来るということもあるのかもしれませんね。

私も、背負いきれない苦からは方向転換しました。
そうしようと思って出来るのだったら、そうすれば良いのだと思いました。
身辺の苦に関しては、おっしゃるように、視点を変えるだけで、大分気持ちは違いますね。
「苦で当たり前」と覚悟を決めてしまうと、挑む気持ちも湧いてきますね。

コウコさんは良いお友だちに恵まれていらっしゃるんですね。
私は今年は、好きだった方たちが亡くなってしまって、やっぱり今は寂しい気分です。

薔薇の花は、頂いたものなんです。
随分、良い香りがしていました。
こんなに鮮やかなオレンジ色の薔薇があるのですね。
冬薔薇は長持ちして良いですね^^

2014/12/17 (Wed) 22:04 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Violetta さま

Violetta さま、こんばんは^^
いつもコメントくださって、どうもありがとうございます。

Violetta さまは、勇気があると思いますよ^^
結局は辞めることにされたようですが、今までやっていらしたお仕事とは全く別のお仕事を始められたのは、すごいな~と思っていました。
Violetta さまも、良いお友だちにたくさん恵まれていらして、やっぱりお人柄なんだろうな、と思います。

O Holy Night、クリスマスコンサートで歌われたことがあるのですね!
盛り上がる曲ですね。
YouTube を見ていたら、いろんな方が歌っていたのですが、あんまり宗教っぽくならない歌い方をしている演奏を載せておくことにしました。
この曲は、いろんなヴァージョンがあるのですね^^

クリスマスに讃美歌を歌っていると、「聖し、この夜」とか、「主は来ませり」とか、12月25日がキリストのお誕生日だと思いますよね~。
Violetta さまは、ブライダルのお仕事をされているから、聖職者のお仕事仲間がいらっしゃるんですね^^

2014/12/17 (Wed) 22:07 | EDIT | REPLY |   

yuccalina  

おはようございます。
若い頃よりも勇気が無くなってるかも?とは、私もよく思うことがあります。昔は大人としての責任とか考えずに突き進んで、周りに迷惑をかけまくっていた様で、恥ずかしく思うことが多いですね。
それと、経験によって勇気を必要としなくなったから、と現在を肯定的に捉えることも出来ますし。

クリスマスは元々土着信仰の冬至のお祭り、とは大分昔に友達から教えてもらったのですが、私にはキリストの誕生日がいつなのか?という疑問すらなかったことに気が付きました。

寒い時期は心も冷えがちですので、イベントで盛り上げるのも、良いのかもしれません。

2014/12/19 (Fri) 08:41 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: yuccalina さん

yuccalina さん、おはようございます^^
いつもコメントありがとうございます。

確かに、大人になるというのは、思慮分別を身に付けることでもありますよね。
私も、若い頃の自分の無謀さを思い出すと恥ずかしくなりますし、無知ゆえに危険を顧みないところがありました。
それに、お子さんのある方は、もう今更自分一人のことで蛮勇を奮う気にはなれないでしょうし、その反面、お子さんのためなら何でもお出来になるものかもしれません。

もしかしたら、子供がいなかったりすると、そのまま年取っていってしまうのかもしれなくて、最近、自分が気弱になりすぎていたような気がしました。
例えば、子供の頃は、ちょっとくらい痛くても平気で、体育の時間に転んだり、打ったり、擦り剥いたりするのを何とも思いませんでしたが、今では考えられない・・・。
身体能力が低下しているという面では仕方ないのですが、痛みを忌み嫌うようになってしまっていて、似たような事が、精神面でも起こってきているなぁ、と感じたんですよね・・。
精神的には、若い頃に比べたら強くなっているはずなのに・・ですね。

クリスマスがキリストの誕生日でないというのは、ご存知の方はちゃんとご存知なんですね!
私は子供の頃、教会の日曜学校に行っていたのですが、クリスマスの日に「今ぞ生まれし、君を讃えよ」とか歌うわけですよ。
もう、すっかりそうだと思っていました。

2014/12/19 (Fri) 10:42 | EDIT | REPLY |   

まーさん  

こんにちは^^

「苦からの解放を希求するより、もっと他にやる事があって生まれてきているはず」
「覚悟をもって生きようという態度において、魂の本源的な力が発揮される・・・それを「気概」と言う」
なるほどその通りですね---
ワタクシも若い時は、がむしゃらで無謀な生き方をしていましたが、今は、そんな自分がいたことすら忘れてしまいました(笑)生きることそのものが苦しかった若い頃の自分を捨て、今はひたすら「ゆるく」「こだわらず」「タブーにチャレンジし」「常識を疑い」「やりたいようにやる」という生き方を実践しようと試みている所です。

「苦も楽もありのままに受け止めて、飛びたい所に躊躇なく飛ぶ」。それが今ワタクシに必要な「勇気」と「覚悟」なのかもしれないと思いました。

ところで、クリスマスってキリストの誕生日ではないのですね!!
知りませんでした。ちょっとした驚きです(@_@)

2014/12/19 (Fri) 16:35 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: まーさん

まーさん、こんばんは^^
コメントありがとうございます!

特定の価値観に執われないようにしようという、まーさんのお考えには、いつも共感しています^^
まーさんもお若い頃、生きることそのものが苦しかったのですね。
私もです。
「こうでなければいけない」という気持ちがあると、意志の力は強まりますが、自分で余計な苦労も作り出しますね。
あるいは逆に、苦しみを避けたいと思っていると、そのための事をいろいろと考えて、結果的にあまり自分の本性に沿わない生き方になってしまうこともあるかもしれません。
自分の中から出てくる生き方をして、それに纏わる多少の苦労は覚悟するのが一番なのかな、という気がしています。
案外、自信を持ってそれが出来るのが、経験や年齢ということなのかもしれず、人は若い頃はさほど個性というものはありませんが、こうして徐々に「自分」になっていくのかな、とも思います。

「常識を疑う」というのは、ちょっと哲学にも通じますね。
普段当たり前だと思っている事は意外と根拠がなく、実はいい加減な事だったりします。

まーさんも、クリスマスはキリストの生誕の日だと思っていらっしゃいましたか?
お仲間がいて嬉しいです。笑

2014/12/20 (Sat) 01:38 | EDIT | REPLY |   

凛  

確かに実感します。若い頃は次に何をしでかすかわからないと言われていた私も、いまじゃすっかり守りに…。
それほど大切なものができたとも言えますが、手にしっかり握りすぎてもよくないのですよね。

人生のステージ的に難しいこともありますが、いつまでも身軽な人間でいたいなと思いました。

クリスマス、私はキリスト様の亡くなった日、そしてイースターが復活した日と思っていたので、Arianeさんからご質問いただいて亡くなった日でもないのだと気がつきました。
まあ、生誕祭ですから、お誕生日といってもいいのでしょうね。

でも真冬に馬小屋は寒いか⁈
ナザレは年中暖かいのかしら?

2014/12/20 (Sat) 18:01 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: 凛さん

凛さん、こんばんは^^
コメントありがとうございます!

凛さんがオーストラリアにいらしたのは、とても勇気のあることで、ご自身の実力に合った、必要な事をなさったんだと思います。
人生のステージによって、いろんな時期がありますね。
お子さんがいらっしゃったら、守るという気持ちが湧くのは当然ですし、その気持ちがないと困るかもしれません。
現実問題としては、いろいろ責任もありますが、ものの考え方という点ではいつも自由でいられると良いと思います。

クリスマスは、何かと勘違いがあるかもしれませんね。
結局、そんなに昔の事はもうよく分からないから、この日をお誕生日にしたのでしょうね。
Wikipedia を見ると、遅くても4世紀には12月25日に生誕祭が行われるようになっているそうです。
こんな事があるんだと思って、何だかとても可笑しくなってしまいました。(笑)

2014/12/20 (Sat) 18:55 | EDIT | REPLY |   

Korva  

Arianeさん、こんにちは^^

勇気がもてないことによって生じる苦しみというものは結構 多くて、
人生における悩みの、かなり大きい部分を占めていると感じます。
でも、本当の勇気というのは結構 難しいものだと感じます。
逃げられる場所、捨てられる余地が多いほうが大胆な行動ができますよね。
これは、逃げられるから挑戦できるという感じですが、普通はこういう場合が多いです。
でも、そういうものが無い場合は、ある種の諦念が勇気になるような気がします。
最近 読み返した「アルケミスト」という本の中に、
「明日死ぬことは、それ以外の日に死ぬことに比べて悪いわけではない」
みたいな言葉が出てくるのですが、これは結構気に入っています。
「まぁ、何とかなるだろう」と思って挑戦した結果、
なんともならずに野垂れ死にみたいなことになっても、
それが一番良い死に時なのだろう、
みたいな諦念から生じる勇気という感じですが。
この諦念は、肉体的な死や自我の死を覚悟することから生じるものですが、
この覚悟のない勇気というものは、
自分にはまだ逃げられる場所があるという、
安心感から生じている余裕みたいなものだと感じます。

2014/12/21 (Sun) 13:23 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Korva さま

Korva さん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。

おっしゃる通り、肉体的な死や自我の死を見据えたものが本当の「勇気」でしょうね。
「死を厭わない」というのは、結構トラディショナルな「勇気」のイメージでもあると思います。
「自我の死」という意味では、いきなり肉体の死がやってくるのでなくても、たとえば自分の将来が厳しいものになるのを覚悟の上で皆のために良い事ができる人も、勇気があるなぁと思います。

しばしば要求される普通の「勇気」は、基本的に生きていくためのもので、何かに挑戦するというのも、自分の力を伸ばしていくという目標があるのでしょうね。

人生の終盤というか、後半に向けては、結構本当に「諦念」っぽい勇気が必要になってくるような気がします。
誰でも「死」というものが、だんだんリアルに視野に入ってきますし、何かと限界が出てきますから・・。
一般的には、それで、安心な老後を迎えるということが大きな課題となっているのでしょうけれど、死ぬ事まで避けられるわけではありませんから、多かれ少なかれ誰でも改めて覚悟して、自分の在り方を引き受けていくというところがあるのではないか、という気がします。

何だかお婆さんっぽい書き方になってしまいましたが、実年齢はそんなではないのですよ。(笑)
この年で自分の晩年を考えるのは変かもしれないのですが、昔から、何故だか早死にする気がする性質です。
主人は、そういう人間の方が長生きする、と言うのですけれど。(笑)

ご紹介頂いた『アルケミスト』、是非読んでみようと思います。

2014/12/21 (Sun) 23:14 | EDIT | REPLY |   

mikitaka08  

こんにちは

 >高校時代の親友も、亡くなってしまいました。
 
  私も同様のことがありました。
  親友ではなかったのですが、同じ高校に通い、還暦近くになって再会して、  親交を深めていた友人がなくなりました。前回会った時はとても元気でし   た。
  奥さんから死後半年たって、私を含めた周囲の者に知らせてくれました。   ショックでした。
  今年は周辺であまりにも若い人の死にも直面し、Arianeさんがおっしゃる  ように自分の人生について、考えさせられ、弱気にもなりました。
  母が倒れて施設に入り、介護を巡ってオロオロしたり、濃い1年でしたが、   私なりの浅い人生についての考えは、まずはこの一瞬を生きていこうと、  いうことでした。

2014/12/23 (Tue) 11:51 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: mikitaka08 さん

mikitaka08 さん、こんばんは^^
いつもコメントありがとうございます。

今年の夏頃、しばらくブログの更新をお休みされていて、mikitaka08 さんもご両親さまも、お元気だと良いなぁと思っていた時期がありました。
お母様のご容体は、今は安定していらっしゃると良いのですが・・。

mikitaka08 さんも、高校時代のお友だちを亡くされたんですね。
ちょっと前まで元気そうにしていたお友だちが亡くなるのは、ショックですよね。
今年は、友人や知人や親御さんが亡くなったという話を随分よく聞きました。
今年の死亡率が特に高いというわけではないでしょうから、何かそういう巡り合わせなのかもしれません・・・。
一年前には主人の親友が亡くなってしまいましたし、今年は私も、友人が3人亡くなってしまいました。
高校時代の友人は同い年でしたが、年配の友人が多いと、どうしてもそういう事は、仕方がないのでしょうね・・。
年を取るのって嫌だなぁと思ったり、皆さん、こうした事にちゃんと向き合っていかれて偉いなぁと思ったりした一年でした。
亡くなった人たちの事は、いつも変わらない笑顔で思い出され、今も身近に感じられますし、それで、自分がどう生きるかという事を、考えさせられますね。

2014/12/23 (Tue) 22:42 | EDIT | REPLY |   

Leave a comment