空の表情Ⅴ / ベジャール振付・ラヴェル音楽『ボレロ』

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主人が撮ったフィルム写真です。


              ◇


今日は久しぶりに踊りについて。

ラヴェル(1875 - 1937年)の『ボレロ』を You Tube で聴こうと思ったら、ベジャール(1927 - 2007年)振付のバレエの動画も出てきて、久しぶりに観てみました。

『ボレロ』のバレエは、1981年のフランス映画『愛と哀しみのボレロ』(Les Uns et les Autres)の中でジョルジュ・ドンが踊って、一般的に広く知られたかもしれません。

私は、『ボレロ』のバレエは、1987年にシュツットガルト・バレエ団が来日した際に、マリシア・ハイデが赤い円卓の上で、リチャード・クラガンが後方の高さ4メートルくらいの台の上で、同じ踊りを踊るというヴァージョンのものをテレビで観て、衝撃を受けたことがありました。

マリシア・ハイデの解説によると、後ろの高い所で踊るリチャード・クラガンの踊りは、「光のような全員を踊らせる力」なのだそうです。

その「力」は、昔の思想家たちが「イデー」と呼んだものにそっくりだと思いました。
制作や執筆等に係わる方ならピンとくると思いますが、作品の全体を司る「イデー」が心の中に明確に観られると(「イデー」はもともと、「観られたもの」という意味)、優れた作品が出来上がります。
それが全く観られないと、作家が行き当たりばったりに作って、全体の統一感に欠けるものができてしまいます。

「イデー」が観られる場合、それを模倣してそっくりに作れば良いのですが、それが観られる時には、また、それ自身が自らを表現するようにして、作品ができるという気がします。
たまに、自分の力量を超えた良い作品ができることがあるのは、そういうことです。


高い台の上で踊る男性の踊りは、全体を支配するイデーそのもので、あまりに感激的でした。


あるいは、高い所で踊る男性とテーブルの上で踊る女性とは、それぞれ神と、神の言葉を伝える巫女のイメージのようだとも思います。

その時の映像が下のものですが、残念なことに、前半と後半が二つに分かれてしまっています。

" Boléro " (1/2) - Marcia Haydée (Stuttgarter Ballett) -

" Boléro " (2/2) - Marcia Haydée (Stuttgarter Ballett) -



それ以来、ベジャールの『ボレロ』は、この二人で踊るヴァージョンでないと何だか物足らなく感じられていたのですが、ただ、踊り自体がものすごく上手いと思ったのは、Syilvie Guillem (シルヴィ・ギエム)の『ボレロ』でした。

これは一人で踊るヴァージョンでしたが、上のマリシア・ハイデとリチャード・クラガンの『ボレロ』を上回る凄味があり、踊りが終わった瞬間、涙と震えとの両方に襲われました。
手の表情一つをとっても素晴らしいです。
性別を超えていて、女でもなく男でもなく、誰かでもなく、踊りが踊りを踊っている感じがします。

私は、バレエを観る習慣がないので、シルヴィ・ギエムがどういう人かも知らないで、いきなり YouTube で観てビックリしてしまいました。
そうしましたら、なんと「100年に1人の逸材」と言われてきた人だったのですね。
そして、来年にはもう引退されるとか・・。
私の記事はなんて情報が遅いのだろうと、我ながら驚きます。


この踊りは、何となく神事に見えるんです。
大体、ラベルのこの曲自体が妙に盛り上がるのですが、ベジャールはどこからこんな格好良い振付や演出を思い付いたのかと、何度観ても驚嘆します。
やっぱり、「イデー」を観て作ったのでしょうね。
作品としても完璧だし、ギエムの踊りも完璧だと思います。


『古事記』にある天岩戸開きを行ったアメノウズメの踊りは、こういう凄い踊りだったのではないか、と想像してしまいます。
『ボレロ』の踊りも暗闇から始まり、最後は大地が鳴動するような盛り上がりを見せ、観客までもが一緒にトランス状態に引き込まれます。

ギエムがこれを踊れば、天照大神も何事かと気になって姿を現わしそうです。





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6 Comments

yuccalina  

おはようございます。

マリシア・ハイデとリチャード・クラガンのボレロ、残念ながら動画が開けませんでした。YouTube以外のところで見られないか探してみますね。

「イデー」のお話、とても興味深いかったです。芸術作品の中に、こうした力が働いているかもしれない、と意識して見ると、また違った感動がありそうです。

元々踊り自体が神への捧げものをして始まったことを思えば、日本に限った話ではないかもしれませんけど、ベジャールは日本文化にも造詣が深かったそうなので、神事から何か発想した可能性もありますね。

シルヴィ・ギエムは身体的能力の高さと、それに負けない精神の高さを持った、稀有なダンサーだったようです。近年はバレエ以外のダンサーともコラボして、来日もしてたようですが、残念ながら、私は生で見た事はありません。

2014/11/27 (Thu) 09:13 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: yuccalina さん

yuccalina さん、おはようございます^^
早速コメントくださって、どうもありがとうございます。

マリシア・ハイデとリチャード・クラガンのボレロ、もう見られなくなってしまっていたのですね・・・。これは失礼しました。
YouTube 以外のところで、もし見られたら、教えて頂けると嬉しいです。

実は今日公開した記事は、前に書きかけていたものなのですが、随分古い話題で、どうしようかな~と思って、そのままになっていたのです。
このところ写真を撮ったりブログを書いたりする時間がなくて、そういえば、これがあったと、ひっぱり出してきて書きあげました。

「イデー」の話、面白いと思って頂けて良かったです!
誰にも伝わらなかったら、どうしようかと思いました。
これはプラトン主義に由来する芸術観です。
ちなみに「イデー(Idee)」というのはドイツ語の訳語で、英語だと idea なのですが、「アイディア」というよりは、「インスピレーション」という言葉で思い浮かべられるものに近いと思います。

そういえば踊りはもともと神事に関係しているんですよね。
踊りではないし、テーブルでもないけれど、今思い出したのが、古代ギリシャの巫女が三脚台の上に乗っていたという話です。
でも、それは椅子みたいなものだったようですが。
ベジャールという人を知らないので、ベジャールの着想が何に由来しているのか、調べてみると面白いかもしれないと思いましたが、そこまで時間がなかったのでやめてしまいました・・。
私は振付師の事はとてもじゃないけれど想像できませんが、着想そのものは、結局、やっぱり音楽からなのでしょうかね?

シルヴィ・ギエムは気の強そうな感じの人ですね。
全裸で、すごい顔をして写っている写真があって、面白い人だなぁ~と思いました。
男性のような筋肉ですね。

2014/11/27 (Thu) 11:01 | EDIT | REPLY |   

Violetta  

Ariane   さま こんばんは^^

今日もご主人様のお写真素敵です〜^^
海や自然を感じられる伸びやかな風景を感じながらの生活が出来るって良いですね^^

ボレロの画像ですが真ん中2つは残念ながら私のパソコンでは見れませんでした.(きっと私のは古いパソコンだからです)
バレエの世界は見ているうちに見入ってしまいますね^^
このボレロの音楽は3拍子できっと踊りやすいのでしょうね^^
この方は男性なのでしょうか?女性の様に見えるのですが ^^;
中性的な感じですね^^
同じ事の繰り返しの踊りに音楽も同じ事の繰り返しをしているのでしっくりきます^^
終わりの無い音楽と永遠の踊り?なのでしょうか?笑

2014/11/29 (Sat) 23:25 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Violetta さま

Violetta さま、こんばんは^^
いつもコメントありがとうございます。

主人の写真も、いつもお褒め頂けて、嬉しいです。
この日はすごい夕焼けだったようです。
デジカメで撮ると、また違った色で撮れるのかな、と思います。

シュツットガルト・バレエ団の『ボレロ』の YouTube は、もう観られなくなってしまっているようです。
上の記事を直さないといけませんね。
どういう関係なのか分かりませんが、YouTube は、観られなくなってしまうことがありますね。

シルヴィ・ギエムは女性ですよー。
でも、本当に男性のような筋肉なんです。
そして、性別を超越しているような雰囲気があると思いました。

ベジャールの振付は、本当にラヴェルのこの音楽に合っていますよね。
私は、単調な繰り返しが続く音楽って、かなり好きなんです。
トランス状態に入りそうな感じがして・・・笑

特に抑揚がなく単調な繰り返し、例えばリズミカルな太鼓の音とか、お経とか、そういうものはトランス状態に入りやすくするものなんじゃないかなぁ、と思うんですよね・・。

2014/11/30 (Sun) 00:59 | EDIT | REPLY |   

Korva  

Arianeさま、こんにちは^^

心の中に「観られたもの」をイデーというのですね。
Arianeさんの説明は、いつも分かりやすいです。
イデーはそれ自身が、人間を通して自分を表現しようとしていますね。
イデーの表出の道具として、
人間は、自動書記のようになれれば、最高かもしれません。
「踊りが踊りを踊っている」という表現が好きです。
踊りに限らず、人間がイデーの表出の道具になるとき、
それは神事だと言える気がします。
「命が私を生きている」というような言い回しを、
「自由人のカルマヨガノート」様のところで見ましたが、
そういう状態であれば、人生そのものが神事かも知れませんね。
教育や勉強も、イデー表出のためのツールを増やす行為ともいえますね。
しかし、イデーの正確な表出よりも、
ツールを増やすこと自体が目的化したりすることもありますね。
私の好きなオーディオでもツール自体が目的化したりして、
主客転倒している場面を(私を含めて)よく見かけますが・・・

2014/11/30 (Sun) 14:05 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Korva さま

Korva さん、こんにちは^^
コメントありがとうございます。

ドイツ語で「イデー」と書きましたが、英語では idea です。
正確に言うと、上で書いたような意味合いは、プラトン自身にはあまりなくて、その後に発展した思想の中にあるものです。
これは「原型」とも言われます。

お気づきと思いますが、私がこの言葉で考えているのは、Korva さんが「思考の塊」とおっしゃっていたものです。
この感覚は、持っている方はリアルな現実として持っているはずだと思いますが、私は持っていらっしゃる方に、殆どお会いできたことがありませんでした。

「人間はイデー表出の道具として自動書記のようになれば最高だろう」というお考え、全く賛成です。
イデーをそのままの形で表現できない部分が、いわゆる「個性」というものになるのではないかと思います。
つまり個性は、作り出そうとして出るものではなく、仕方なしに出てしまうものではないか、と・・。
でも結果的に、作家の自己表現がイデーの自己表現になっている作品は、優れたものだと思います。
というのも、他の仕方では物質的な世界で作品になりませんから・・。

おっしゃるように、勉強をするのは、イデー表出のツールを増やすことに役だっていますね。
作品が、伝統や歴史上の進歩を踏まえたものとして出来てくるのは、勉強したり、他の人たちから影響を受けたりしたものがツールになるからだと思います。
私はもともと勉強不熱心ですが、もう少しツールが自己目的化するくらい、勉強好きになれたらなぁ、と思います。
イデーがないのは命がないようなものですが、ツールは身体のようなもので、この世で好まれるのはツールの方ですね・・。

「人間がイデー表出の道具となる時、それは神事だ」というのも、おっしゃる通りだと思います。
私は聖書には詳しくありませんが、「もはや我生くるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり」というパウロの言葉がありますね。

光奈さんのブログに「命が私を生きている」という表現があったのは、私も覚えています。
「私」ではなく「命」の方が主語なのですよね。
「私」が主語だと思っている人が「安楽死」とかを選ぶし、またそういう人を自己決定できる強い意志を持った人だと称賛する人たちが、最近増えているなぁ、と思います。

光奈さんのブログと言えば、以前、そちらのコメント欄を見ていて、二回程とても共感したコメントがあったことがあり、URL をクリックしたら、二回ともスピーカーの事が書かれているブログで、その話は私には歯が立たないなぁと思って撤退したことがありました。(笑)
それが Korva さんのブログでした。
こうしてコメントを頂けるのは嬉しいことです。

2014/11/30 (Sun) 22:09 | EDIT | REPLY |   

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