「<かたち>と共に」より / サティ『ジムノペディ』第1番

0019-001.jpg




0019-003.jpg



主人が撮ったフィルム写真です。

『<形>共に』という今日のブログ・タイトルは、この種の写真のタイトルとして主人が自分で付けたものですが、私も、このコンセプトを面白いと思っています。


人はいつも、ものを“何かとして”見ています。
自分が理解している“何か”として見ているのです。

“何かとして見る”ということをしない場合、視界に映っているのは、ただの雑多な色の面でしかありません。
おそらく生まれたばかりの赤ちゃんの目に映っているのは、絶えず動く様々な色でしかないでしょう。

私たちは普段、たとえば“家”なら“家”、道なら“道”という、自分の知っている概念にしたがって、視界に飛び込んでくる色面を、分けて理解して見ています。

知っている概念に即して見るから、逆に、錯覚ということも起こります。

これは、音についても同様のことが言えます。
駅のホームの騒音の中で、アナウンスの声や電車の音、発車のベルを聞き分けているのは、それぞれの音がどういうものか、私たちが知っているからです。


“家”、“道”といった概念を離れてものを見てみる時、私たちはもう一度、純粋な形や色の美しさに出会います。



img171-001.jpg




0038-001.jpg




0034-001.jpg


               ◇


音楽は、サティ『ジムノペディ』第1番を付けておきます。







img550-001.jpg




0013-002.jpg


関連記事
スポンサーサイト

8 Comments

yuccalina  

Arianeさん、おはようございます。

ご主人の写真、いつも素敵ですが、既成の概念から自由になって形を楽しむって、私がアートに魅かれる理由の一つだったんだなあ、と実感させられました。

実は、ヨガにおいても、視覚にしろ、聴覚にしろ、知識や経験によるそうした感覚を、一度手放しましょう、という実習をすることがあるんです。自分の思い込みでなく、事象と向き合うのは、勿論簡単にはいかないのですが。

勿論、形も色も受け取る側の感覚に左右されるのは当然で、見る人間によって違うのは脳科学的にも証明されてる訳ですけど、私は日常生活でも、同じ音楽が時と場合によって、全く違って聴こえてくるのが、とても面白いなあ、と思ってました。

2014/10/30 (Thu) 09:00 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: yuccalina さん

yuccalina さん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。

当たり前だと思っている見方を一回離れて、<そもそもどういうものであるか>を見るというのは、実は哲学的なものの見方なのですが、またヨガの教えと重なりそうで、面白いと思います。
私たちは普段、後から出来上がった概念でものを見て、これはこういうものだと決めつけたり、これが良くこれが悪いと価値づけたりして、そういう事で余計な苦しみに陥っていることがしばしばあるような気がします。
まあ、それは世界観や人生観にかかわるものの見方という話ですが、感覚的な認識について考えてみても、それがどのようにして成り立っているかということは、根本的に考えてみる余地があるんですよね。
たとえば私たちは、普段、当たり前に「りんごがある」とか「電話が鳴っている」とか思っていますが、もう少しよく考えてみると、外から入ってくる色とか形とか音といった刺激を、私たちの主観の側に具わる仕組みに即して整理して取りまとめて理解している、と考えることができます。
すごく簡単に大雑把に言うと、カントのような人は、大体そんな風に考えました。
当たり前にあると思いこんでいる通りのものが存在しているか、と言うと、そうではないということです。
私たちが理解している事柄には、基本的に主観に具わるものが入りこんでいるんだ、ということを踏まえておくと、わりといろんな事が、柔軟にいろんな風に見られるのではないかと思います。

yuccalina さんは音楽に造詣が深いから、同じ音楽でも聴く時と場合によって違ってくる、という事を、よく自覚されるのかもしれませんね。
核心を突くコメントを頂きまして、どうもありがとうございました。

2014/10/30 (Thu) 21:36 | EDIT | REPLY |   

Violetta  

Arianeさまこんにちは^^

旦那様のお写真を見せていただいていると、芸術家っていう感じがします^^
男性は特に形というものがお好きな方多いですね。
こうして見せていただくと。。なんだかアートに見えますね^^

サティ『ジムノペディ』第1番って 芸術的な曲ですよね~。
そして。。大人な雰囲気で何故だか色っぽい曲だなって思います。

癒されますね^^

2014/10/31 (Fri) 11:26 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: Violetta さま

Violetta さま、こんばんは^^
いつもコメントありがとうございます。

そういえば、男性は形に惹かれ、女性は色に惹かれるという傾向があるかもしれませんね。
女性が着けるアクセサリーなども、男性は揺れるものが好きで、女性は色のあるものが好きだというのを聞いたことがありました。

音楽もいつもお聴きくださって、ありがとうございます^^
サティの『ジムノペディ』第1番って、やっぱり大人っぽい曲なのですね。
私は若い頃、この曲を弾くのは苦手でした。
子供だったせいか、音楽性がなかったせいか・・・間がもたないんですよねぇ^^;
聴く分には、素敵な曲だなぁと思います^^

2014/10/31 (Fri) 20:22 | EDIT | REPLY |   

mikitaka08  

こんばんは

 すばらしい絵柄ですね。

 ファインダーをのぞく行為は同じなのにできあがる作品がこんなにも
 違うのかと、つくずく思います。

2014/11/01 (Sat) 20:14 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: mikitaka08 さん

mikitaka08 さん、こんばんは^^
お褒めのコメントを頂きまして、どうもありがとうございます。

今回の主人の写真はわりと抽象的な形なのですが、一般的には、何を撮っているのか分かる写真の方が好まれるのかな、という気がします。
やっぱり、絶景であるとか、お花であるとか・・。
絵としてご覧頂けて、大変嬉しいです。
どうもありがとうございます。

写真は、同じものを撮っても、撮り方によって本当に違うと思います。
私も以前はただシャッターを押してカメラ頼みの写真を撮っていましたが、最近は特定の空間を平面に写し取った時に、こういう絵にしたい、というヴィジョンに従って撮るようになりました。
理想通りの絵ができた時は、やっぱり嬉しいですね。
それにしても、絵の具で絵を描くのと違って、写真はやっぱり楽だな~と思います。

2014/11/01 (Sat) 23:08 | EDIT | REPLY |   

コウコ  

Arianeさん、こんばんは。

学問的な話からは逸れるかもしれませんが・・・
随分前に「みんなちがって、みんないい」のみすゞの詩の一片に気付かされ、
慰められたことがありました。
多様性を認識することで、他者を認めたり許すことが出来、自分自身も開放
され、自由になれました。
しかし社会や世間は歴然と立ちはだかっています。心の自由に気付いただけ
でも生甲斐なので、これでいいのかもしれません。

道元禅師の言葉に「自己をならふといふは、自己をわするるなり」とありますが
Arianeさんの記事を拝読するたびに、この言葉が脳裡を過ぎります。

サティの「ジムノペディ」第1番は私にとって、深い眠りを誘う曲です。
音楽は私にとって多分不得意の部類に入ると思うのですが・・・
かつて、思い掛けない体験をしました。いま思い出したので、誰にも話したこと
はないのですが・・・
入院中、体の痛みを紛らわすために、枕元でFMを聴きました。
これまでヴァイオリンには関心はなかったのですが、何故かヴィオリンの音色が痛みを和らげ、ヴァイオリン協奏曲ばかり聴いていました。
当時はほんとうに救われた思いでした。不思議な体験でした。

お写真ですが、ご主人の世界が確立していると思いました。
己の視点で撮ることは難しいです。写真を始めてから気付きました。


2014/11/02 (Sun) 01:08 | EDIT | REPLY |   

Ariane  

Re: コウコさん

コウコさん、こんにちは^^
いつもコメントありがとうございます。
今回の写真のテーマは、「従来当たり前だと思っていた見方を、一度離れて見る」ということだったのですが、随分深いところで読み取って頂けて、大変嬉しく思います。

「みんなちがって、みんないい」というのも、「これでなければいけない」とか「これが優れていて、これが劣っている」といった、いつの間にか、どこかで思い込んでいる考えや価値観を離れる、ということにつながるのでしょうね。
そのようなところから見ると、人は人で、その人なりの立場で頑張って生きているのが分かりますから、自分と対立する人の事も、それはそれで許すことができますし、自分は自分で、人と立場も能力も違うけれど、自分にできる事を精一杯すれば良いのだな、と分かって、迷いがなくなるような気がします。
おっしゃるように、それで実際に社会や環境が変わるというわけではありませんが、心の自由というのは有難いものですね。

本当の自由というのは、まず自分から自由なものなのだと思います。
いろんな想いに執われがちな自分を、離れて見られる足場があると、その中にどっぷり浸かっている状態とは大分違うだろうと思います。
「自分を離れたところ」は「自他の区別のないところ」で、それが本当の自己だとも言え、本来はそのような世界から、この「自分」というものが「自ずと分かれて」来ているのではないかと思います。

道元禅師のお言葉を思い出して頂けるとは、大変光栄なことです。
宗教やスピリチュアリズムは私の専門外ですが、こうした事は私の考えの中心にあるものです。
普段この種の事を直接書いているわけではありませんのに、こうしたところを見て頂けるとは、とても不思議な気が致しますし、有難い読者の方に恵まれたことに感謝の気持ちが湧いてまいります。

音楽もいつもお聴きくださって、どうもありがとうございます。
音楽は、私も決して得意ではありません。
大して良し悪しが分からないので、何を聴いても楽しめるという利点はありますけれどね。(笑)
サティの「ジムノペディ」第1番は、自分がピアノで弾いた時は、音に表情をつけられず、ただ間延びしてしまって、全然ダメでした。
この曲が「眠りを誘う」とおっしゃる気持ちは分かります。(笑)

ヴァイオリンの音色が痛みを和らげたというのは、不思議ですね!
もしかしたら、ヴァイオリンの波長のようなものが良かったのかもしれませんね。
いつか痛い思いをしなければならない時に、私も試してみようと思います。

写真を撮っていると、「己の視点で撮る」ということは、意識せざるを得なくなりますね。
結局、現実の空間を、そのまま写真にすることはできないわけですから・・。
皆さんの写真をブログなどで拝見していても、「なるほど、これをこう撮るか~」と、感心させられることがあって、それが写真を見る楽しさの一つですね。

2014/11/02 (Sun) 14:45 | EDIT | REPLY |   

Leave a comment